かもめでんしゃの鉄道旅ブログ

鉄道を軸に 史跡・名所をめぐっていきます。

法隆寺・西院伽藍/世界最古の木造建築群[奈良・斑鳩1dayチケットの旅<06>]

 

11:57

西ノ京駅から 鉄道とバスを使って法隆寺

次に向かうのが法隆寺。その名のとおり「奈良・斑鳩1dayチケット」は、法隆寺のある斑鳩もフリー区間の対象になっています。西ノ京駅から筒井駅。筒井駅から奈良交通の路線バスを使い、法隆寺前のバス停まで向かいます。このバス路線もフリー区間の対象です。

時刻表をおっていくと、11:57 西ノ京駅近鉄橿原線に乗り、12:04 筒井駅で下車。筒井駅前のバス停は、国道25号線沿いにあります。ちょっとバス停の場所が分かりづらいですね。

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12:23 筒井駅前のバス停で、王寺駅行きの奈良交通バスに乗り換え、12:35 法隆寺前のバス停で下車します。

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12:35

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飛鳥時代への入り口【法隆寺・参道、南大門、中門】

さて、いよいよ法隆寺ですね。法隆寺前のバス停を降りてすぐのところから法隆寺まで、松の並木が400メートル近くまで、ずっと続いています。これが法隆寺の参道ですね。さながら神聖な場所へ行くための演出装置のようです。

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法隆寺・参道

説明をするまでもないかもしれませんが、法隆寺は、飛鳥時代聖徳太子こと厩戸皇子が建てたお寺。そして、現存する日本最古、いや世界最古の木造建築群となります。それだけでなく、国宝仏像(国宝彫刻)の数は17件。興福寺の説明のときに話しましたが、興福寺の国宝仏像の数と同じく日本最多です。まさにお寺のなかのお寺なのです。

厩戸皇子が建てたときは、「法隆寺」ではなく「斑鳩寺」と呼ばれていました。このあたりの地名ですね。知っていると思いますけど「斑鳩」と書いて「いかるが」と読みます。変わった地名ですけど「イカルという鳥の群れがいた」というのが地名の由来ですね。イカルを調べてみると、スズメ科の渡り鳥だそうです。「イカルコキー」って鳴くそうです。

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さて、法隆寺ですね。現存する「世界最古の木造建築群」と書きましたが、あえて「群」の文字を付けたのは、なにしろ世界は広いですので、法隆寺より古い建物群は残っていないにしても、例えば「木組みの壁」なんていうのも残っている可能性はあります。そうなると、一部であっても「木造建築だ」と言い張ることができますので。

あと、法隆寺にしても、607年に厩戸皇子が建てた後に、一度、670年に、焼失しているんですね。その後の早い時期に再建されたので、それでも世界最古であるには変わりがありませんけど。

松の並木道を抜けると、南大門があります。室町時代に再建された一重門でして、国宝ですね。

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法隆寺・南大門

さて、南大門を抜けると、中門と五重塔がお出迎えです。ここが西院伽藍。法隆寺といえば、だいたいの方がイメージされるのが、この西院伽藍の建物ですね。世界最古の木造建築群といわれるのも、この西院伽藍になります。

ひとくちに「法隆寺」と言っても、とても広い。いろいろな寺院の建物があります。ただ、当然ですけど、一般の観光客に公開されていない建物も多いんですね。

それでですね。実は、もともと創建当時の法隆寺の場所は、この西院伽藍ではなくて、若草伽藍になります。西院伽藍よりやや南東にありました。今は「跡」でしかありません。先に書きましたけど、法隆寺は一度焼失しているのですが、それは若草伽藍の方になります。

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法隆寺・西院伽藍(中門・五重塔)(右手の建物は護摩堂)

中門は、飛鳥時代に建てられた二重門。国宝です。やはり法隆寺は国宝の建物が多く集まっていますね。中門は、四間二戸なのが特徴なのかな。「四間二戸」とは、文字どおり柱と柱の間が4つあり、入り口が2つあるということ。この入り口が2つなのがめずらしいわけですね。たいてい1つとか3とかの入り口になっているはずです。ちなみに参拝客は、この門をぐぐれません。少し離れた入り口から西院伽藍へと入っていきます。

先に書いておきますと、中門の中には、左右に、国宝の金剛力士立像が安置されています。7世紀初めのもので、日本最古の仁王像とされています。門の内側とはいえ、風雨も届いていたでしょうから、かなり痛んではいますけど、そこがかえって歴史の重みを感じさせますね。

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法隆寺金剛力士像(阿形)

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法隆寺・中門の金剛力士像(吽形)

現存最古の金堂と五重塔法隆寺・金堂と五重塔

いよいよ西院伽藍のなかに入っていきます。さて、伽藍のなかの建物の配置というのも時代の変遷があるようで、法隆寺のような古い寺院は、回廊のなかに金堂や仏塔を整然と直線に並べているんですよね。とくに法隆寺は、仏塔が1つだけなので、いたってシンプル。それが時代が下るにつれて、仏塔が2つになったりして、平安時代あたりになると、浄瑠璃寺のように、本堂に大きな池を配したりして、どんどん建物の配置が複雑化してくるわけなんですよね。ですので、法隆寺は、日本古来の伽藍配置を残しているという意味でも、貴重な寺院となっているわけです。

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法隆寺・金堂と五重塔

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法隆寺・金堂と五重塔

まずは金堂ですね。建物も国宝ですが、ここにある釈迦三尊像薬師如来坐像、四天王立像、毘沙門天像、吉祥天立像も国宝です。まさに国宝の宝庫です。まったく頭が上がりません。

一見、2階建てにみえますけど、2階部分は部屋がありません。屋根の数を数えてみると1階と2階の間に裳階がありますので、3階建てに見えなくもないんですけど。実は、1949年に、金堂の堂内で解体修理を行っていたときに火災が生じたのですね。内部の壁や柱などが焼けたものの、なんとか仏像などは難を逃れたわけですけど、このときの火災がきっかけで文化財保護法が制定され、また火災のあった1月26日が文化財防火デーになったんですね。

あと2階部分を見てみると、4隅に竜を刻を刻んだ柱があります。もともとは無かったようなんですが、修理の際に取り付けたようなんですね。2階の屋根が大きくすぎて、ちょっと持たなかったようなんですね。ただ、いつ取り付けたかについては分かっていないようです。江戸時代あたりなのかな。

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法隆寺・金堂の彫刻を刻んだ柱

それで、本尊の釈迦三尊像ですね。飛鳥時代のもので、中尊の釈迦如来坐像は、聖徳太子こと厩戸皇子の等身大の仏像ともいわれています。釈迦になぞらえるなんて大それたことをと思われるかもしれませんけど、彼の死後の話しなんで、本人に責任はありません。国宝としての登録名は「銅造釈迦如来及両脇侍像」。釈迦如来坐像の両脇には、菩薩立像が控えております。

アルカイック・スマイル。古典的微笑。この仏像は、よくそう言われますね。古代ギリシアの表現技法といわれています。顔の感情表現を極力抑えながら、口元だけは微笑みの形を伴っているような表現ですね。 あと、目の形についても杏仁形とよばれる表現技法を使っていて、後世の日本の仏像とは一線を画しております。

あと、この釈迦三尊像は、作者がわかっています。飛鳥時代の技術者で、鞍作止利という人ですね。「くらつくり の とり」と読みます。

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法隆寺釈迦三尊像


そして金堂の隣にあるのが五重塔。もちろん現存最古の五重塔にして国宝です。
五重塔ですけど、実は、5階の部分は、1階部分の半分の広さしかありません。塔の高さを高くみせようとする工夫があるんですね。

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法隆寺五重塔

五重塔の1階部分のなかには、東西南北の面にそれぞれに塔本四面具が置いてあります。これも国宝です。なんと80体におよぶ仏像たちが写実的に描かれています。一つひとつの表情もゆたかに再現されて面白いです。

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法隆寺五重塔の塔本四面具

※ 仏像の写真は拝借しております。

 

 エンタシスの柱【法隆寺・廻廊】

金堂と五重塔を取りかこむ廻廊。ギリシアパルテノン神殿にあるような円柱。そうですね。下から上にかけて徐々に柱を細くする、柱の中ほどに膨らみをもたせる。エンタシスという技法を取り入れていることが、よくわかるのが、この法隆寺の廻廊です。

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法隆寺・廻廊の柱

エンタシスというのは、柱を膨らんでいるように見せるためではなく、「柱に近づいて見あげたときに、真っ直ぐに見えるように工夫されたもの」なんですね。錯覚を利用して、建物をより完璧なものに見せようとするものなんです。法隆寺ものは、古代ギリシアのエンタシスに比べると、柱の上下の両端は細く、中心部が太くなっているのが特徴ですね。

薬師三尊像をまつる大講堂【法隆寺・大講堂】

大講堂も、国宝ではありますが、こちらは、平安時代に焼失して、再建された建物になります。平安時代の建物というと、かなり古い建物になるはずですが、法隆寺の建物をめぐっているうちに、新しい建物のように思えてきます。慣れというのは怖いものです。ちなみに、本尊の薬師三尊像も、平安時代のもので、国宝になっています。

ちなみに、このとき僧侶さんたちが大講堂の前で儀式をしていました。

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法隆寺・大講堂

法隆寺の説明が長くなってしましたね。まだまだ続きます。