春日大社・本殿/千古の森のなかの朱色の社殿[奈良・斑鳩1dayチケットの旅<10>]
15:40
千古の森のなかの朱色の社殿【春日大社・南門と中門】
いよいよ春日大社の回廊内に入ってきます。まずは南門。本殿への正面入り口にして、春日大社でもっとも大きな門になりますね。大きな朱色の楼門です。さすがに人の集まりも多いです。その前に、石灯篭の間から、ひょっこりと鹿があらわれたました。
時間さえあれば、南門をくぐるまでに「若宮十五社めぐり」をしておくべきですかね。南門のすぐそばにある、第1番から第15番まである札所めぐりですね。ただ、15:00で閉門。すでに閉まっているため、今回は、あきらめました。
南門をくぐって回廊内に入ると、右手に小さな祠たちがみえてきます。
「辛榊神社」「穴栗神社」ほか4つくらいの祠。いわゆる境内末社ですね。後で調べてみると、それぞれ「交渉事をまとめる神様」とか「幸運をもたらす神様」とか、ご利益があるそうです。
そして、中門と御廊ですね。江戸時代に建て替えられたものです。中門は高さ10メートル。その左右に10メートル超の廊がのびています。朱塗りの鮮やかな建物ですが、さきの南門とは違い、正面には唐破風の屋根が設けています。実は明治時代になってから取り付けたものだそうです。
あくまで中門なので、本殿ではありません。当然ですけど、この奥に本殿があるわけです。本殿は4棟がならんで建てられて、これが国宝になっています。ただ、本殿には拝殿がありませんので、直接、拝むことはできません。本殿は撮影禁止ですし、そもそも一般の参拝客が立ち入ることができません。残念ではありますけど、門扉の間から覗き見る程度しか、本殿の様子を知ることができないようです。どうやら写真で我慢するしかないようですね。
※ 本殿の写真は借用しています。
本殿を取りかこむ釣灯篭【春日大社・回廊】
本殿を取りかこむ回廊は、東西南北、それぞれ「東回廊」「西回廊」「南回廊」「北回廊」と名付けられ、いずれも重要文化財ですね。ちなみに南門も中門も重要文化財です。
さて、回廊ですが、実に たくさんの釣灯篭がかざられています。その数1000個を超えるともいわれていますね。新しいものは金色に光り輝いて、古いものは味わい深い青緑色となっています。
寄進によるもので、その室町時代あたりから現在にいたるまで年代は様ざま。春日大社に奉納された釣灯篭というのは、回廊にかざられているもの以外にもあるわけですけど、あわせて3000個ともいれています。とくに室町時代以前の釣灯篭で現存しているものの半分以上は、この春日大社にあり、これまた歴史的価値があります。
それで藤浪之屋ですね。北回廊沿いにある建物でして、江戸時代までは神職の詰所として利用されたとことです。建物のなかは、真っ暗になっており、光は灯篭の光のみ。すばらしい演出ですね。万灯篭の幽玄の美を歩きながら楽しむことができます。
春日大社・参道/神鹿のお社[奈良・斑鳩1dayチケットの旅<09>]
15:21
「春日大社本殿」に到着。まずは春日大社国宝館へ。
15:21 春日大社本殿のバス停に到着。ここから春日大社本殿までは、200メートルといったところ。本殿に向かう前に、すぐそこにある春日大社国宝館へ。最近、リニューアルしたようですね。あ。写真を撮り忘れた。とりあえず借用。
春日大社の国宝館。解説をみると、文字どおりの国宝館でした。所有する国宝が、なんと354点。重要文化財ともなると1482点。だいたいが平安時代のものとのことで、「平安の正倉院」と呼ばれているそうです。補足ですけど、点数と件数はベースが違いますので、件数ベースだと、たぶん国宝は13件かな。例えば「本宮御料古神宝類」という国宝は、本殿に安置されていた宝物がいろいろあつまって292点あり、これで1件として数えられています。まあ、いずれにしても、所有している国宝はすべて美術工芸品の分類にされています。
まず国宝館に入ると、鼉太鼓が出迎えてくれます。重要文化財の鼉太鼓の複製ですね。
それで注目すべき国宝は、赤糸威大鎧(竹虎雀飾)。源義経が奉納された伝わっていますけど、どうも鎌倉時代の後期につくられたそうで、時代があわないようです。まあ、こういった伝説には、よくある話しですけど。
※ 工芸品の写真は拝借しております。
この甲冑。説明によると、雀の飾りつけが96羽もいるそうです。とても華やかな装飾になっていますので、もとから戦闘ではなく奉納のためにつくられたのでしょうね。
ちなみに、この国宝館には、同じく国宝で、赤糸威大鎧(梅鶯飾)もあります。だから、混同しないように、(竹虎雀飾)と括弧を付けているんです。
神鹿がたわむれる参道【春日大社・参道】
それでは春日大社の参道へ。ところで、参道というのは、やはり一の鳥居から入るのが良いでしょうけど、降りたバス停からだと、二の鳥居から、となってしまいます。
出迎えてくれるのが、伏水鹿手水所ですね。一般の神社と同じように手水所があるのですけど、ここは春日大社。鹿が咥えている巻物から水が出ています。
説明によると、ここ伏水鹿手水所で手と口を清め、祓戸神社にお参りしてから、春日大社本殿へと行くようですね。それで祓戸神社ですね。小さな祠です。なぜか写真残っていないですね。ここも借用。鹿に目がいって、撮り忘れたのかもしれません。
さてと、春日大社の参道を進みます。石灯篭が続いていくのですが、その石灯篭の間から、ひょっこりと鹿があらわれてきます。しかも何匹も。
さすがは神の使いです。人が近づいても、まったく驚きもしません。
いよいよ左手に本殿が見えてきました。
そういえば春日大社の説明をしていなかったですね。春日大社は、全国に1,000社ある春日神社の総本社です。奈良時代に、平城京の守護として建てられたようですけど、なんといっても、藤原氏の氏神を祀ったということで有名です。なにしろ奈良、平安時代と隆盛をきわめた藤原氏の氏神ですからね。その主祭神の名は武甕槌命。「たかみかづち」と読みます。日本神話に登場する神様です。武甕槌命は、もともと常陸の国(茨城県)の鹿島神社の祭神だったのですけど、そこから白い鹿に乗って、ここまで来たそうなんですね。あくまで神話、伝説の話なのですけど、それで、鹿が神の使いとなったということなんですね。奈良で鹿が大事にされている所以です。
武甕槌命がどんな神なのか。詳しい説明はやめますけど、ようするに軍神ですね。調べてみると、大きなナマズを抑えつけている絵がでてきました。ナマズは地震の例えですね。
本家の鹿島神社が、軍神の武甕槌命を祀ったのは、その立地が大和朝廷の戦略拠点であったことも関係しているのだと思いますね。ときには雷の神であったり、地震の神であったり、剣の神であったり、はてまた力士の神であったりします。まさに力の象徴ですね。こう聞くと、ちょっと不思議なのは「武甕槌命がなんで藤原氏の祭神なのか」ということです。藤原氏は、まあ中臣鎌足からはじまっているですけど、貴族とか文人とかのイメージでして、将軍とか武人とかのイメージではないですよね。うーん。よくわからないな。
あとですね。鹿島神宮にも鹿がいるそうですね。日本神話では、天照大神が武甕槌命に指令を出したのも鹿だとされています。どうも、この神は鹿と縁がありそうですね。
中宮寺・法輪寺・法起寺/古代日本仏教の聖地[奈良・斑鳩1dayチケットの旅<08>]
- 厩戸皇子ゆかりの尼寺【中宮寺】
- 法隆寺、法起寺とともに「斑鳩三塔」のひとつ【法輪寺】
- 日本初で世界遺産に選ばれた三重塔【法起寺】
- 路線バスで「法起寺前」から「春日大社本殿」まで
- 続百名城のお城【郡山城】
13:30
厩戸皇子ゆかりの尼寺【中宮寺】
法隆寺の東院伽藍の隣にあるのが中宮寺。聖徳太子こと厩戸皇子が建立したとも、厩戸皇子の生母である穴穂部間人皇后が建立したともいわれていますが、どうも資料的には追えないようですね。ただ、法隆寺の尼寺という位置づけであったことは確か。
創建当時は、ここより東に0.5キロのところにあったようで、いまは史跡公園として整備されているようですね。もともとはきちんとした伽藍が整備されていたようです。現在の境内というのは、江戸時代に移転されてきたもので、法隆寺に間借りしたような感じになっています。
それで、本堂ですね。えっ。驚きました。本堂は鉄筋コンクリート造りなんですよね。「厩戸皇子ゆかり」とは思えないほど、モダンなデザインのお寺です。寝殿造りを基調にはしているようですけど。調べると、本堂は1968年に再建されたようです。
それで本堂にあるのが、国宝の菩薩半跏像です。飛鳥時代のもの。全体的に黒ずんでいるものの、そこがかえって美しいですね。かつては50円普通切手のデザインとしても採用されたようです。
※ 仏像の写真は拝借しております。
あと、この菩薩半跏像は、なんといってもアルカイック・スマイルですね。法隆寺の釈迦三尊像にも見られた、あの古典的微笑です。解説によると、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」と呼ばれているですね。初耳ではありますけど、ね。
あと、ここには「天寿国曼荼羅繍帳」という国宝の刺繍があります。現存する日本最古の刺繍で、死後の厩戸皇子が住んだとされる天寿国の世界を描いたものだとか。ただし、この中宮寺で見れるのは、そのレプリカです。
さて、そろそろ時間も足らなくなってきました。やや急ぎ足で、中宮寺から北へ進みます。法輪寺へと向かいます。いったん家並みを出てみると、のどかな風景がひろがってきます。
13:50
法隆寺、法起寺とともに「斑鳩三塔」のひとつ【法輪寺】
法輪寺の前には、コスモス畑がひろがっていました。
法輪寺は、聖徳太子こと厩戸皇子の子である山背大兄王が、父の病気平癒を願って建立されたといわれています。法隆寺、法起寺とともに「斑鳩三塔」のひとつとよばれ、お寺のシンボルは、何と言っても三重塔ですね。残念ながら、この三重塔は落雷にあって焼失してしまい、1975年に再建されたものです。
いずれにしても、時間の都合上、法輪寺は、外から眺めるだけにしました。
14:00
日本初で世界遺産に選ばれた三重塔【法起寺】
さて、法輪寺から徒歩5分のところにあるのが、法起寺。飛鳥時代の寺院で、やはり聖徳太子こと厩戸皇子ゆかりのお寺とされています。ただ、寺院自体は、彼の死後の、706年に完成にしたとあります。
ところで、この法起寺。日本初で世界遺産に選ばれた寺院なんですよね。実は、日本初の世界遺産といえば、1993年に姫路城と法隆寺が選ばれたと記憶している人も多いんでしょうけど、このときの法隆寺のほうの登録名が「法隆寺地域の仏教建造物」。なんと、その範囲は「法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔を加えた48棟」なんですよね。つまり、この法起寺の三重塔も、れっきとした世界遺産なんです。
三重塔ですが、706年の創建以来のこっている唯一の建物となります。国宝です。
法起寺の三重塔ですが、現存する日本最古の三重塔となります。塔の高さは24メートル。薬師寺東塔の高さには及びませんけど、あの薬師寺東塔は特殊ですからね。それを除くと、日本最大の三重塔と言われています。
国宝の三重塔以外では、十一面観音立像が重要文化財に指定されていました。講堂は、江戸時代前期のものなのですが、重要文化財の指定にはなっていないようですね。
次の目的地の春日大社への路線バスは、14:17。5分ほど時間があったので、バス停から見えた池に行ってみました。案内板の解説に、それなりの由緒が書いてあったのですが、池の名前とともに忘れてしまいました。
14:17
路線バスで「法起寺前」から「春日大社本殿」まで
さて、次の目的地は、春日大社。法起寺近くの法起寺前のバス停から、春日大社本殿まで、奈良交通バスの春日大社本殿行きで向かいます。到着は15:21なので、所要時間は1時間と、路線バスにしては長距離となります。運賃700円でしたが、このバス路線も「奈良・斑鳩1dayチケット」のフリー区間の対象ですので、お得感があります。
バス停の数を調べてみると、終点の春日大社本殿まで、なんと44ですね。多いですよね。ちなみに起点の法隆寺から数えると47つもあります。
これは、バス停が多いほうではないかと思いましたけど、いやいや、上には上がいるものです。停留所数 日本一のバス路線は、169つもある北海道の「豊富幌延線・幌延留萌線」。半分にも及びませんね。そういえば、同じ奈良交通の路線バスには「八木新宮線」というのがあり、こちらは停留所数166、路線距離166.9 km、所要時間6時間30分です。さきほどの北海道の路線は、路線的には2つに分かれていますので、そう考えると「八木新宮線」こそが停留所数の日本一の路線。ようするに停留所数、距離、時間の三冠王なんですよね。すごいぞ。奈良交通。
14:33
続百名城のお城【郡山城】
バスの車窓から郡山城が見えてきました。その前には近鉄橿原線の鉄道が走っています。「郡山城」というと複数あるので「大和郡山城」という場合もあります。停車するバス停をみて、ふと気づいたのは、途中下車で、郡山城に行けるんですよね。実は、この路線バス、いったん近鉄大和郡山駅で折り返しているんです。バスが駅から折り返している間に、郡山城を見ておこうと思い、とっさにバスを降りました。
時刻表としては、14:33に郡山市役所のバス停で下車。駆け足で、郡山城の追手向櫓をみて、ふたたび、14:37に郡山市役所のバス停に乗りました。けっこうギリギリの時間だったけど、たぶんバスのほうも、多少時間が前後していたようです。
実のところ、以前に郡山城には訪れていますので、こんな冒険的なことをしなくてもよかったかもしれませんけど。まあ、もしバスに乗り遅れたときは、近鉄で春日大社に向かうことも考えていました。
郡山城ですけど、続百名城にも選ばれています。おそらく現存している建物はありませんけど、追手向櫓と追手門、追手東隅櫓、東隅櫓と十九間多聞櫓などが、復元されています。当時は天守も建っていましたけど、復元には至っていません。いずれにしても、こんな短時間では、追手門あたりを行って帰るだけが関の山です。
さて、バスは奈良市内に入り、春日大社を目指します。ちなみに、このバス路線は、薬師寺や唐招提寺、平城宮跡の近く、それと、JR奈良駅、近鉄奈良駅も通ります。つまり、奈良の観光名所をつなぐバス路線といっても過言ではありません。
法隆寺・西円堂や東院伽藍/厩戸皇子がやどるお寺[奈良・斑鳩1dayチケットの旅<07>]
- 小高い丘にある八角円堂【法隆寺・西円堂】
- 西院伽藍の両側にある堂宇【法隆寺・西室と東室】
- 飛鳥時代の傑作【法隆寺・大宝蔵院(観音菩薩立像と玉虫厨子)】
- 西院伽藍から東院伽藍へ【法隆寺・東大門】
- 厩戸皇子ゆかりの八角円堂【法隆寺・東院伽藍(夢殿)】
13:00
小高い丘にある八角円堂【法隆寺・西円堂】
西院伽藍があるからには、対となる東院伽藍もあります。東院伽藍に行くまでに、せっかくなので、西円堂など、ほかの堂宇も見ていきます。
西院伽藍の北西の小高い場所に、薬師如来像を安置する八角円堂の西円堂があります。そう興福寺の北円堂、南円堂でみた八角円堂ですね。建物は鎌倉時代のものですが、本尊の薬師如来坐像は奈良時代のものです。西円堂もまた建物と本尊どちらも国宝になります。なお、寺伝では、もともと行基が建てたとされています。
それにしても、西円堂が建てられた場所は高いので、そこから眺望もいいですね。
西円堂の近くに鐘がありました。「かきくえば かねがなるなり ほうりゅうじ」。正岡子規さんの有名な俳句ですけど、ひょっとして、この時の鐘を聞いて、一句浮かんだのだろうか。
西院伽藍の両側にある堂宇【法隆寺・西室と東室】
さきに西円堂のほうを紹介しましたけど、西院伽藍の すぐ西にあるのが、三経院及び西室。鎌倉時代に建てられた国宝の建物です。
三経院とは、聖徳太子こと厩戸皇子が勝鬘経、維摩経、法華経の三つの経典を注釈された『三経義疏』にちなんで付けられた名前とのことです。勝鬘経が何で、維摩経が何で、というような説明はいたしませんけど(というか自分でも分かりません)、日本仏教の原点とされるもののようです。なお、それと、西室の建物の南部分を改装して、「三経院」を呼ぶようになったとのことです。
今度は西院伽藍の東側に行きます。その前に鏡池ですね。ここを通ります。聖徳太子こと厩戸皇子がこの池で水からの姿を映したという伝説があります。うーん。厩戸皇子が生きていたときは、ここには法隆寺が建っていなかったはず。若草伽藍の方でしたからね。それとも鏡池だけは、もともとあったということなのか。伝説にツッコんでも、しかたがないのかもしれませんけど。
それで、東室ですね。これも国宝の建物です。「三経院及び西室」のときに触れていませんでしたが、東室と西室は、いわゆる僧房のことですね。僧侶さんの住まいです。この東室の方は、基本的には奈良時代から残る建物になります。「基本的」といったのは、東室の南部分は聖霊院といって、鎌倉時代に厩戸皇子を祀る墓所に改装されたからですね。
東室の隣には「妻室」という建物があります。こちらは重要文化財。重要文化財も貴重な建物なはずなんですけど、これだけ国宝が続くと、感覚が麻痺しますね。「妻室」というのが聞きなれない建物ですけど、東室の別館みたいなものなんでしょうか、ね?。説明を見損ねました。
あと、見損ねたというより、たぶん写真を撮り損ねたのでしょうけど、国宝の建物である食堂や綱封蔵といった建物も、この辺りにあります。これを取り上げ出すと、長くなりますので、やめておきます。
飛鳥時代の傑作【法隆寺・大宝蔵院(観音菩薩立像と玉虫厨子)】
さて、法隆寺の宝物庫である大宝蔵院。東院伽藍に行くまでに、ここを訪れておきます。といいますか、ここにあるのが、歴史の教科書にでも出てきそうな「観音菩薩立像」と「玉虫厨子」ですね。これは見逃せません。いうまでもなく、どちらも国宝です。もちろんですけど、この大宝蔵院には、それ以外にも、国宝、重要文化財がずらりと展示されていますけど、この2つに絞りますね。
まずは「観音菩薩立像」。飛鳥時代のもので、もともと金堂にありました。「観音菩薩立像」というより「百済観音」といったほうが名前が通りやすいらしい。でも、「百済観音」といっても、実際に百済から来たものかは不明。ただ、最近の研究では、使われたヒノキの解析などから、日本でつくられたことは確からしい。ということは分かったようです。いずれにしても、まだ誰がどこで作ったのかが解明されていません。謎多き仏像でもあるのですね。ただ、日本における木造仏像彫刻の原点とされ、現代にいたるまで、多くの人の心を捉えた作品とされています。
そして、次が「玉虫厨子」ですね。これも飛鳥時代のもので、もともとは金堂にありました。ちなみに「厨子」というのは、仏像など納めて安置するための屋根付きの箱のようなものですね。「玉虫」というのは、あの昆虫のタマムシです。装飾にタマムシの羽を使ったんですね。この「玉虫厨子」。実際にみてみると意外と大きなものでして、高さは2メートル30センチほどあります。残念ながら、タマムシの羽は残っていません。なにしろ飛鳥時代のものですからね。しかたがないです。解説によると、ほんの少しだけ残っているようですけど。
※ 仏像、厨子の写真は拝借しております。
西院伽藍から東院伽藍へ【法隆寺・東大門】
さて、西院伽藍を離れ、直線にのびる道筋をとおって、夢殿のある東院伽藍へと歩いていきます。
土塀の美しい通りを抜けていくと、見えてくるのが、東大門。奈良時代の八脚門ですね。南大門もそうでしたけど、「大門」というわりには、簡素なつくりの門ではありますけど、これも国宝ですね。
13:20
厩戸皇子ゆかりの八角円堂【法隆寺・東院伽藍(夢殿)】
東院伽藍に到着。ここに夢殿があります。奈良時代の八角円堂にして、堂内には聖徳太子こと厩戸皇子の等身像とされる救世観音像を安置しています。ここも建物とともに国宝ですね。
もう八角円堂についての説明は省略しますね。ようは厩戸皇子の供養塔です。「夢殿」。それにしても変わった名前ですね。もともと建てられたときは、そういう名前ではなかったようなんですけど、厩戸皇子が瞑想していたときに夢に現れた「金人」に教えを授かったという伝説にちなんで、「夢殿」と名付けられたようです。「金人」というのも聞きなれませんけど、後光というのかオーラというのか、そういう輝きをもった人、単純に「仏さん」と言っていいのでしょうね。
東院伽藍の東院鐘楼も国宝ですね。こちらは鎌倉時代のもの。ちなみに夢殿も奈良時代のものといいましたけど、結構、鎌倉時代に改装されているようなんですね。
ざっと、法隆寺を紹介してきました。ただ、歴史価値の高い建物が多すぎて、じっくりとは回りきれません。いろいろと紹介してきましたけど、国宝の建物だけみても、こぼれ落ちていますが、正直なところ、いちいち取り上げていては、前には進みません。
せっかく法隆寺を訪れるために、斑鳩の地まできたのですから、ほかの斑鳩のお寺も見ておきたい。そういう思いもありましたので、これにて法隆寺を後にすることにしました。
法隆寺・西院伽藍/世界最古の木造建築群[奈良・斑鳩1dayチケットの旅<06>]
- 西ノ京駅から 鉄道とバスを使って法隆寺へ
- 飛鳥時代への入り口【法隆寺・参道、南大門、中門】
- 現存最古の金堂と五重塔【法隆寺・金堂と五重塔】
- エンタシスの柱【法隆寺・廻廊】
- 薬師三尊像をまつる大講堂【法隆寺・大講堂】
11:57
西ノ京駅から 鉄道とバスを使って法隆寺へ
次に向かうのが法隆寺。その名のとおり「奈良・斑鳩1dayチケット」は、法隆寺のある斑鳩もフリー区間の対象になっています。西ノ京駅から筒井駅。筒井駅から奈良交通の路線バスを使い、法隆寺前のバス停まで向かいます。このバス路線もフリー区間の対象です。
時刻表をおっていくと、11:57 西ノ京駅で近鉄橿原線に乗り、12:04 筒井駅で下車。筒井駅前のバス停は、国道25号線沿いにあります。ちょっとバス停の場所が分かりづらいですね。
12:23 筒井駅前のバス停で、王寺駅行きの奈良交通バスに乗り換え、12:35 法隆寺前のバス停で下車します。
12:35
飛鳥時代への入り口【法隆寺・参道、南大門、中門】
さて、いよいよ法隆寺ですね。法隆寺前のバス停を降りてすぐのところから法隆寺まで、松の並木が400メートル近くまで、ずっと続いています。これが法隆寺の参道ですね。さながら神聖な場所へ行くための演出装置のようです。
説明をするまでもないかもしれませんが、法隆寺は、飛鳥時代、聖徳太子こと厩戸皇子が建てたお寺。そして、現存する日本最古、いや世界最古の木造建築群となります。それだけでなく、国宝仏像(国宝彫刻)の数は17件。興福寺の説明のときに話しましたが、興福寺の国宝仏像の数と同じく日本最多です。まさにお寺のなかのお寺なのです。
厩戸皇子が建てたときは、「法隆寺」ではなく「斑鳩寺」と呼ばれていました。このあたりの地名ですね。知っていると思いますけど「斑鳩」と書いて「いかるが」と読みます。変わった地名ですけど「イカルという鳥の群れがいた」というのが地名の由来ですね。イカルを調べてみると、スズメ科の渡り鳥だそうです。「イカルコキー」って鳴くそうです。
さて、法隆寺ですね。現存する「世界最古の木造建築群」と書きましたが、あえて「群」の文字を付けたのは、なにしろ世界は広いですので、法隆寺より古い建物群は残っていないにしても、例えば「木組みの壁」なんていうのも残っている可能性はあります。そうなると、一部であっても「木造建築だ」と言い張ることができますので。
あと、法隆寺にしても、607年に厩戸皇子が建てた後に、一度、670年に、焼失しているんですね。その後の早い時期に再建されたので、それでも世界最古であるには変わりがありませんけど。
松の並木道を抜けると、南大門があります。室町時代に再建された一重門でして、国宝ですね。
さて、南大門を抜けると、中門と五重塔がお出迎えです。ここが西院伽藍。法隆寺といえば、だいたいの方がイメージされるのが、この西院伽藍の建物ですね。世界最古の木造建築群といわれるのも、この西院伽藍になります。
ひとくちに「法隆寺」と言っても、とても広い。いろいろな寺院の建物があります。ただ、当然ですけど、一般の観光客に公開されていない建物も多いんですね。
それでですね。実は、もともと創建当時の法隆寺の場所は、この西院伽藍ではなくて、若草伽藍になります。西院伽藍よりやや南東にありました。今は「跡」でしかありません。先に書きましたけど、法隆寺は一度焼失しているのですが、それは若草伽藍の方になります。
中門は、飛鳥時代に建てられた二重門。国宝です。やはり法隆寺は国宝の建物が多く集まっていますね。中門は、四間二戸なのが特徴なのかな。「四間二戸」とは、文字どおり柱と柱の間が4つあり、入り口が2つあるということ。この入り口が2つなのがめずらしいわけですね。たいてい1つとか3とかの入り口になっているはずです。ちなみに参拝客は、この門をぐぐれません。少し離れた入り口から西院伽藍へと入っていきます。
先に書いておきますと、中門の中には、左右に、国宝の金剛力士立像が安置されています。7世紀初めのもので、日本最古の仁王像とされています。門の内側とはいえ、風雨も届いていたでしょうから、かなり痛んではいますけど、そこがかえって歴史の重みを感じさせますね。
現存最古の金堂と五重塔【法隆寺・金堂と五重塔】
いよいよ西院伽藍のなかに入っていきます。さて、伽藍のなかの建物の配置というのも時代の変遷があるようで、法隆寺のような古い寺院は、回廊のなかに金堂や仏塔を整然と直線に並べているんですよね。とくに法隆寺は、仏塔が1つだけなので、いたってシンプル。それが時代が下るにつれて、仏塔が2つになったりして、平安時代あたりになると、浄瑠璃寺のように、本堂に大きな池を配したりして、どんどん建物の配置が複雑化してくるわけなんですよね。ですので、法隆寺は、日本古来の伽藍配置を残しているという意味でも、貴重な寺院となっているわけです。
まずは金堂ですね。建物も国宝ですが、ここにある釈迦三尊像、薬師如来坐像、四天王立像、毘沙門天像、吉祥天立像も国宝です。まさに国宝の宝庫です。まったく頭が上がりません。
一見、2階建てにみえますけど、2階部分は部屋がありません。屋根の数を数えてみると1階と2階の間に裳階がありますので、3階建てに見えなくもないんですけど。実は、1949年に、金堂の堂内で解体修理を行っていたときに火災が生じたのですね。内部の壁や柱などが焼けたものの、なんとか仏像などは難を逃れたわけですけど、このときの火災がきっかけで文化財保護法が制定され、また火災のあった1月26日が文化財防火デーになったんですね。
あと2階部分を見てみると、4隅に竜を刻を刻んだ柱があります。もともとは無かったようなんですが、修理の際に取り付けたようなんですね。2階の屋根が大きくすぎて、ちょっと持たなかったようなんですね。ただ、いつ取り付けたかについては分かっていないようです。江戸時代あたりなのかな。
それで、本尊の釈迦三尊像ですね。飛鳥時代のもので、中尊の釈迦如来坐像は、聖徳太子こと厩戸皇子の等身大の仏像ともいわれています。釈迦になぞらえるなんて大それたことをと思われるかもしれませんけど、彼の死後の話しなんで、本人に責任はありません。国宝としての登録名は「銅造釈迦如来及両脇侍像」。釈迦如来坐像の両脇には、菩薩立像が控えております。
アルカイック・スマイル。古典的微笑。この仏像は、よくそう言われますね。古代ギリシアの表現技法といわれています。顔の感情表現を極力抑えながら、口元だけは微笑みの形を伴っているような表現ですね。 あと、目の形についても杏仁形とよばれる表現技法を使っていて、後世の日本の仏像とは一線を画しております。
あと、この釈迦三尊像は、作者がわかっています。飛鳥時代の技術者で、鞍作止利という人ですね。「くらつくり の とり」と読みます。
そして金堂の隣にあるのが五重塔。もちろん現存最古の五重塔にして国宝です。五重塔ですけど、実は、5階の部分は、1階部分の半分の広さしかありません。塔の高さを高くみせようとする工夫があるんですね。
五重塔の1階部分のなかには、東西南北の面にそれぞれに塔本四面具が置いてあります。これも国宝です。なんと80体におよぶ仏像たちが写実的に描かれています。一つひとつの表情もゆたかに再現されて面白いです。
※ 仏像の写真は拝借しております。
エンタシスの柱【法隆寺・廻廊】
金堂と五重塔を取りかこむ廻廊。ギリシアのパルテノン神殿にあるような円柱。そうですね。下から上にかけて徐々に柱を細くする、柱の中ほどに膨らみをもたせる。エンタシスという技法を取り入れていることが、よくわかるのが、この法隆寺の廻廊です。
エンタシスというのは、柱を膨らんでいるように見せるためではなく、「柱に近づいて見あげたときに、真っ直ぐに見えるように工夫されたもの」なんですね。錯覚を利用して、建物をより完璧なものに見せようとするものなんです。法隆寺ものは、古代ギリシアのエンタシスに比べると、柱の上下の両端は細く、中心部が太くなっているのが特徴ですね。
薬師三尊像をまつる大講堂【法隆寺・大講堂】
大講堂も、国宝ではありますが、こちらは、平安時代に焼失して、再建された建物になります。平安時代の建物というと、かなり古い建物になるはずですが、法隆寺の建物をめぐっているうちに、新しい建物のように思えてきます。慣れというのは怖いものです。ちなみに、本尊の薬師三尊像も、平安時代のもので、国宝になっています。
ちなみに、このとき僧侶さんたちが大講堂の前で儀式をしていました。
法隆寺の説明が長くなってしましたね。まだまだ続きます。
薬師寺/鵜野讃良(うののさらら)姫のお寺 [奈良・斑鳩1dayチケットの旅<05>]
11:00
近鉄奈良駅から西ノ京駅へ
今度は鉄道で西ノ京へ向かいます。時刻表をたどっていくと、11:16 近鉄奈良駅発→11:21 大和西大寺駅着。この駅で近鉄橿原線に乗り換え。11:35発 大和西大寺駅→11:39着 西ノ京駅となります。
ちなみに、この区間のみどころといえば、「平城京跡の車窓風景」と「大和西大寺駅の複雑に入り組む線路風景」となります。
11:39 近鉄の西ノ京駅に到着。この駅が、次の目的地 薬師寺の最寄駅となります。
11:20
「凍れる音楽」【薬師寺・東塔】
「西ノ京」とは、文字どおりですが、古都奈良の西のこと。平城京の朱雀大路から西の地域を指していたようです。ところで、朱雀大路の東の地域を「東ノ京」と呼ばれていたのでしょうか? 自分で問いかけながらも、よく分からないですね。
さて、薬師寺ですね。本尊は、寺号から分かるように薬師如来。天武天皇が鵜野讃良(うののさらら)皇后の病いを憂いてつくられた寺になります。ちなみに、鵜野讃良は、後の持統天皇ですね。当時は、現在の橿原市に建てられたのですが、奈良時代にはいって、いまの西ノ京に移転しております。その後、失火や戦火などによって、多くの建物を失い、奈良時代から現存しているのは、唯一、東塔のみ。それ以外の、金堂、大講堂、西塔など主要な建物は、1976年以降の再建と、わりと新しいものとなります。
まずは薬師寺の東塔。国宝の建物になります。訪れたときは、2009年から続いている修復工事が終わる、一歩手前といったところでした。まだ、工事の鉄骨が組まれたまま。実は、この薬師寺には、となりの唐招提寺とともに、一度訪れておりまして、このときは、この修復工事の直前でした。
東塔は、ぱっと見ると、六重の塔に見えますが、階層的には、三重塔です。
下から1、3、6番目の屋根が、裳階となります。裳階は「もこし」と読みますけど、ようするにもともとの屋根の下に屋根をつくることで、階層を多く見せようとする建築方法ですね。さきほど言いましたが、この東塔は、奈良時代から、そのまま残っている建物になります。高さは34メートル。たしかに興福寺の五重塔には及びませんけど、奈良時代以前から残っている、現存する建物としては、もっとも高い建物ではないか、と思っています。
あと、アメリカの東洋美術史家のフェノロサさんが、この東塔を指して「凍れる音楽」と評価したといわれることが、よく引き合いに出されていますね。たしかに、見ればみるほど、興味を引き立てる建物になっています(工事の鉄骨が邪魔ですけど)。
国宝の建物といえば、あと東院堂があります。この建物は回廊の外側にあります。解説をみますと、奈良時代のものですけど、鎌倉時代に再建されているようですね。本尊の観音菩薩立像も国宝。
そして、薬師寺の南側。ここが、中門になります。観光バスで訪れた方は、この中門をくぐることになります。朱色の中門と回廊。まだまだ新しいです。この中門の左右には、二天王像が置かれています。1991年の建立とのことですので、当然ですけど、施された彩色が残っています。薬師寺らしい明るい雰囲気ですね。それが、かえって落ち着かない感じもしますけど。ところで、鮮やかな彩色だけではありません。東大寺南大門の仁王像などに比べると、この二天王像は、身に着けている防具も、ずいぶん豪華なんですよね。
華やかな朱色の仏塔【薬師寺・西塔】
そして、西塔ですね。こちらは1981年に再建されています。やはり東塔と同じく、裳階の建築方法が使われていて、構造的には三重の塔ですが、一見、六重の塔に見えます。
西塔は、戦国時代に戦火に巻き込まれて焼失。450年のときを経て、1981年に再建。同時期に再建された金堂、大講堂とともに、朱色が目立つ華やかな外観が特徴です。奈良時代の外観を忠実に再現されたとされていますが、東塔と見比べてみると、裳階部分が連子窓になっているなど、細かな違いがあります。どうやら、もともと東塔も連子窓だったとようです。また、解説によると、西塔は、わずかながら東塔よりも高くして再建されたとのこと。これは、経年からくる木材の状態や地盤沈下を計算して再建されていて、500年後には、西塔と東塔の高さが同じになるようです。500年先とは、さすがは古都奈良のお寺さんです。
古都奈良の仏教彫刻の最高傑作【薬師寺・薬師三尊像】
さて、次は金堂。解説によると金堂は1976年の再建ですが、それまでは江戸時代の仮の建物があったそうです。薬師寺の歴史というのは、なかなかの受難の歴史でもあったらしく、平安時代の中期あたりに没落して以降、金堂と西塔・東塔を残して、建物の多くを失い、残りも金堂と東塔も焼失。その後、なかなか再建されなかったようですね。再建に拍車がかかったのは、昭和時代の後半ですね。さきに話しをしたフェノロサさんが来日したのは明治時代なのですが、その頃も、東塔と仮の金堂しか、まともな建物がなく、荒んでおりました。ただ、興福寺もそうなんですけど、そうしたなかにあって、仏像というのは大事にされていて残っているものなんですよね。
さて、ここにある本尊の薬師如来像、その両脇の日光菩薩像、月光菩薩像。この三体が、あわせて国宝になります。ちなみに薬師如来像の台座も国宝です。制作された時期は、飛鳥白鳳期とされています。いずれの仏像も、写実的な自然な描写、肉付けでつくられた仏像で、この時期における仏教彫刻の最高傑作。仏像を前に不謹慎だけど、今でもオリエンタルなモデルさんとして十分に通用しそうですね。
それぞれの仏像の手や足の裏には「千輻輪相」が描かれています。「せんぷくりんそう」と読みますが、車輪を重ねたような形ですね。仏さんの身体的な特徴なんですが、ここまで丁寧に書き込まれた仏像はめずらしいようです。
ちなみに日光菩薩、月光菩薩は、文字どおり、太陽と月で対になっています。薬師寺にかかわらず、薬師如来の脇侍に置いている場合が多いです。このふたつの菩薩は、見比べても、よく似ていますけど、右手と左手、どちらが上がっていて、下がっているか、そこは違っています。
※ 仏像の写真は拝借しております。
次に大講堂ですね。ここには弥勒三尊像があります。あと国宝の仏足石も見ることができます。ちなみに仏足石とは、お釈迦さんの足跡の形を彫刻した石のことですね。
真新しい伽藍【薬師寺・玄奘三蔵院玄奘塔】
薬師寺の最後に。伽藍を出て、道をはさんで、北側にあるのが、1991年につくられた新しい伽藍。玄奘三蔵院。唐の玄奘の教えを伝えるべく建立されたということで、玄奘のシルクロードの旅を描いた「大唐西域壁画」を見ることができます。伽藍の中央には、玄奘の遺骨を納めた玄奘塔があります。ちなみに玄奘の遺骨を納めた寺というのは、この薬師寺だけではありません。どうやら分骨されているようですね。
玄奘は、興福寺のときにも触れましたけど、『西遊記』の三蔵法師ですね。仏教の原点をもとめ、山岳や砂漠、荒野を越えて、シルクロードをたどってインドに行くというお話なんですけど、物語の土台の部分は、実話なんですよね。あと、言い忘れましたが、薬師寺は、興福寺と同じく法相宗のお寺ですね。もともと玄奘が中国で広めた宗派です。
ここで西ノ京を後にします。今回は時間がなくて訪れることができなかったけれど、ここから北へ歩くと、唐招提寺があります。鑑真ゆかりのお寺ですね。せっかく西ノ京を訪れたらには、ぜひ、訪れておきたいお寺ではあるんですけど、以前に薬師寺ととも訪れたことがありますので、割愛いたしました。
岩船寺~浄瑠璃寺/古刹の三重塔~極楽浄土の三重塔 [奈良・斑鳩1dayチケットの旅<04>]
09:11
路線バスで岩船寺・浄瑠璃寺へ
近鉄奈良駅 09:11発の奈良交通バスの浄瑠璃寺行き(急行)に乗り、 09:34に浄瑠璃寺のバス停に到着。ここが終点です。この先は、コミュニティーバスと乗り換え接続していて、浄瑠璃寺のバス停で乗り換え、浄瑠璃寺から岩船寺へと向かいます。岩船寺は09:51着。このコミュニティバスの移動時間は、5~6分ほど。
そう。近鉄奈良駅のバス乗り場ですけど、浄瑠璃寺行きのところが、ターミナルから少し離れたところにあるんですね。乗り遅れそうになりました。
近鉄奈良駅から浄瑠璃寺の運賃は片道だけでも580円。往復にして1,160円。「奈良・斑鳩1dayチケット」では、この路線も乗り放題の対象ですので、かなり得した気分になります。ただし、コミュニティバスの区間は対象外となります。念のため。
09:51
古刹の三重塔【岩船寺】
まずは、岩船寺ですね。近くにある浄瑠璃寺もふくめて、このあたりを当尾の里と呼びます。行政的には京都府ですが、古くから奈良と縁がある地域になります。だからでしょうが、奈良交通バスも、山間の集落にもかかわらず、わざわざ、ここに路線を通しているのでしょう。
岩船寺の寺伝によれば、岩船寺は聖武天皇の勅願により行基が建てた阿弥陀堂が起源。なかなか由緒あるお寺というわけですけど、まあ寺伝ですからね。ただ、奈良時代に建立されたことは確かなので、古刹というにふさわしい寺院です。
本堂は、というと、1988年に再建された新しい建物ですが、本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代の作といわれています。
そして、岩船寺で有名なのが、境内の奥にある三重塔。室町時代の再建です。屋根をささえる四隅の垂木をよく見てみると、天邪鬼である隅鬼が彫刻されています。
垂木に彫刻されている天邪鬼。「あまのじゃく」と読みます。一般的には「わざと人とは逆のことをする ひねくれもの」のことですね。これが仏教でいうと、人間の煩悩をあらわします。お寺によくある四天王の仏像の足元をみると、踏みつぶされている鬼の彫刻が、この天邪鬼です。いかにも小物感のある鬼ですね。
10:05
素朴な石仏たち【当尾の石仏】
急ぎ足で、岩船寺から浄瑠璃寺へと向かいます。このあたりは当尾の里とよばれ、奈良と縁があることは説明しましたが、具体的にいうと、奈良仏教の僧侶たちが逃れて、この地に住んでいたということなんですね。説明によると、「当尾」という地名のも、「仏塔の尾根」からきているとのこと。仏教が盛んな地域だったようです。
このあたりは石仏めぐりということで散策コースがいくつあるようですが、移動の時間も30分弱と限られているので、小走りで、最短コースで進んでいくことにしました。ですので、通りすがりの石仏しか見ておりません。ゆっくりと見ながら散策するのなら1時間は欲しいところ。
まあ、いくつか見れましたけど、説明にある石仏ポイントを数えてみると、43か所に点在しているようなので、とてもとても見回るわけにはいきません。ちなみに岩船寺や浄瑠璃寺の境内にある石塔なども、この石仏ポイントに入っていました。
10:30
唯一現存する九体阿弥陀如来堂【浄瑠璃寺・本堂】
さて、浄瑠璃寺に到着。石船寺から徒歩で25分といったところ。散策コースとはいえ、まともに舗装がされていない山道もあったので、焦りました。
浄瑠璃寺には、平安末期の本堂と三重塔が残っております。この本堂には、9体の阿弥陀如来座像と四天王立像たちがおさめられています。これらの建物と仏像がともに国宝。当時の浄土庭園や浄土教の仏像を伝える貴重な資料としても、歴史的価値が高いとされています。
誤解されている方がいるかもしれませんが、浄瑠璃寺の「浄瑠璃」の寺号は、仏教でいう「浄瑠璃浄土」の世界からとっています。三味線の「浄瑠璃」とは別物です。
解説によると、この9体の阿弥陀如来座像を安置するというのは、浄土宗の教えのひとつで、九体阿弥陀堂というようで、平安時代に多く建立されたようですが、現存しているのは、この浄瑠璃寺のだけ。たしかに、一つひとつは小振りな仏像ではありますけど、阿弥陀如来座像が9体ずらりと並んでいる光景は、なかなか見ごたえがあります。ちなみに。9体のうち真ん中だけが、やや大きめになっています。
※ 仏像の写真は拝借しております。
さて、先に堂内の仏様を取り上げてしまいましたが、阿弥陀如来座像の置かれている本堂ですね。この本堂というのは、寄棟造りの簡素な建物になります。寄木造りというのは、四方向に傾斜する屋根をもつ造りですね。堂内も、天井面を張らず、垂木が見えているという、質素な造りとなっています。とても抑えた感じになっています。同じ「極楽浄土」を表現していても、平等院鳳凰堂のような優雅さではなく、上品で落ち着いた雰囲気です。
そして、堂内からは、大きな池と赤い弁財天さんの祠が見えます。とても綺麗な景色です。そして、池の先には、三重塔も見えます。
極楽浄土の三重塔【浄瑠璃寺・三重塔】
いよいよ三重塔ですね。浄瑠璃寺の三重塔。本堂とともに平安末期の建物といいましたが、どうも三重塔は、もともと、どこかのお寺から移築されているらしいです。文献をたどれば、京都の一条大宮まではたどれるようなんですけどね。ここに薬師如来像が納められているようですが、一般には見ることはできません。薬師如来は現世利益信仰の仏さんですね。
そうそう。浄瑠璃寺で知っておいきたいのは「浄土庭園」ですね。浄瑠璃寺の浄土庭園は、兼六園など全国に36か所しかない特別名勝のひとつに選ばれています。
「浄土庭園」とは、本堂や阿弥陀堂の前面に広い池を配している庭園のこと。本堂や阿弥陀堂を浄土の世界に見立てるために、池を配したというわけです。有名なところでは、やはり平等院鳳凰堂が、この庭園形式を取っています。ただ、ちょっと浄瑠璃寺の優越感をもって紹介するのなら、平等院鳳凰堂の浄土庭園は名勝どまりなんですよね。
念のためですけど、「浄土」というのは、煩悩や汚れのない世界で、仏や菩薩が住む世界のことですね。阿弥陀如来の「極楽浄土」や薬師如来の「浄瑠璃浄土」といったものがあります。「極楽浄土」が何で「浄瑠璃浄土」が何なのかは、それ以上のことは分かりませんけど、三重塔の薬師如来像から「浄瑠璃寺」の寺号がきているんでしょうね。
そういえば猫さんがお堂の受付のところを闊歩していました。
10:44
路線バスで奈良へ戻る
これにて岩船寺・浄瑠璃寺は終わり。路線バスで奈良へと戻ります。浄瑠璃寺のバス停はすぐそこです。行きとは逆ルート。10:44発 JR奈良駅行き(急行)で、11:09に近鉄奈良駅のバス停に到着。もちろん「奈良・斑鳩1dayチケット」を使います。
余談ですが、「浄瑠璃寺口」というバスがありますが、浄瑠璃寺から徒歩30分以上はあろうかという距離ですので、降りるバス停を間違えないように。