かもめでんしゃの鉄道旅ブログ

鉄道を軸に 史跡・名所をめぐっていきます。

薬師寺/鵜野讃良(うののさらら)姫のお寺 [奈良・斑鳩1dayチケットの旅<05>]

 

11:00

近鉄奈良駅から西ノ京駅

今度は鉄道で西ノ京へ向かいます。時刻表をたどっていくと、11:16 近鉄奈良駅発→11:21 大和西大寺駅着。この駅で近鉄橿原線に乗り換え。11:35発 大和西大寺駅→11:39着 西ノ京駅となります。

ちなみに、この区間のみどころといえば、「平城京跡の車窓風景」と「大和西大寺駅の複雑に入り組む線路風景」となります。

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新大宮駅大和西大寺駅間・平城京跡の車窓風景 朱雀門

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大和西大寺駅・複雑に入り組む線路

11:39 近鉄西ノ京駅に到着。この駅が、次の目的地 薬師寺の最寄駅となります。

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11:20

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「凍れる音楽」【薬師寺・東塔】

西ノ京駅から薬師寺までは徒歩で3分ほど。近いです。

「西ノ京」とは、文字どおりですが、古都奈良の西のこと。平城京朱雀大路から西の地域を指していたようです。ところで、朱雀大路の東の地域を「東ノ京」と呼ばれていたのでしょうか? 自分で問いかけながらも、よく分からないですね。

さて、薬師寺ですね。本尊は、寺号から分かるように薬師如来天武天皇が鵜野讃良(うののさらら)皇后の病いを憂いてつくられた寺になります。ちなみに、鵜野讃良は、後の持統天皇ですね。当時は、現在の橿原市に建てられたのですが、奈良時代にはいって、いまの西ノ京に移転しております。その後、失火や戦火などによって、多くの建物を失い、奈良時代から現存しているのは、唯一、東塔のみ。それ以外の、金堂、大講堂、西塔など主要な建物は、1976年以降の再建と、わりと新しいものとなります。

まずは薬師寺の東塔。国宝の建物になります。訪れたときは、2009年から続いている修復工事が終わる、一歩手前といったところでした。まだ、工事の鉄骨が組まれたまま。実は、この薬師寺には、となりの唐招提寺とともに、一度訪れておりまして、このときは、この修復工事の直前でした。

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薬師寺・回廊越しにみる東塔(修復工事中)

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薬師寺・東塔と工事の鉄骨組み

東塔は、ぱっと見ると、六重の塔に見えますが、階層的には、三重塔です。

下から1、3、6番目の屋根が、裳階となります。裳階は「もこし」と読みますけど、ようするにもともとの屋根の下に屋根をつくることで、階層を多く見せようとする建築方法ですね。さきほど言いましたが、この東塔は、奈良時代から、そのまま残っている建物になります。高さは34メートル。たしかに興福寺五重塔には及びませんけど、奈良時代以前から残っている、現存する建物としては、もっとも高い建物ではないか、と思っています。

あと、アメリカの東洋美術史家のフェノロサさんが、この東塔を指して「凍れる音楽」と評価したといわれることが、よく引き合いに出されていますね。たしかに、見ればみるほど、興味を引き立てる建物になっています(工事の鉄骨が邪魔ですけど)。  

国宝の建物といえば、あと東院堂があります。この建物は回廊の外側にあります。解説をみますと、奈良時代のものですけど、鎌倉時代に再建されているようですね。本尊の観音菩薩立像も国宝。

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薬師寺・東院堂

そして、薬師寺の南側。ここが、中門になります。観光バスで訪れた方は、この中門をくぐることになります。朱色の中門と回廊。まだまだ新しいです。この中門の左右には、二天王像が置かれています。1991年の建立とのことですので、当然ですけど、施された彩色が残っています。薬師寺らしい明るい雰囲気ですね。それが、かえって落ち着かない感じもしますけど。ところで、鮮やかな彩色だけではありません。東大寺南大門の仁王像などに比べると、この二天王像は、身に着けている防具も、ずいぶん豪華なんですよね。

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薬師寺・中門の仁天王門(吽形)

 華やかな朱色の仏塔【薬師寺・西塔】

そして、西塔ですね。こちらは1981年に再建されています。やはり東塔と同じく、裳階の建築方法が使われていて、構造的には三重の塔ですが、一見、六重の塔に見えます。

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薬師寺・西塔

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薬師寺・西塔と紅葉

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薬師寺・金堂と西塔

西塔は、戦国時代に戦火に巻き込まれて焼失。450年のときを経て、1981年に再建。同時期に再建された金堂、大講堂とともに、朱色が目立つ華やかな外観が特徴です。奈良時代の外観を忠実に再現されたとされていますが、東塔と見比べてみると、裳階部分が連子窓になっているなど、細かな違いがあります。どうやら、もともと東塔も連子窓だったとようです。また、解説によると、西塔は、わずかながら東塔よりも高くして再建されたとのこと。これは、経年からくる木材の状態や地盤沈下を計算して再建されていて、500年後には、西塔と東塔の高さが同じになるようです。500年先とは、さすがは古都奈良のお寺さんです。

古都奈良の仏教彫刻の最高傑作【薬師寺・薬師三尊像】

さて、次は金堂。解説によると金堂は1976年の再建ですが、それまでは江戸時代の仮の建物があったそうです。薬師寺の歴史というのは、なかなかの受難の歴史でもあったらしく、平安時代の中期あたりに没落して以降、金堂と西塔・東塔を残して、建物の多くを失い、残りも金堂と東塔も焼失。その後、なかなか再建されなかったようですね。再建に拍車がかかったのは、昭和時代の後半ですね。さきに話しをしたフェノロサさんが来日したのは明治時代なのですが、その頃も、東塔と仮の金堂しか、まともな建物がなく、荒んでおりました。ただ、興福寺もそうなんですけど、そうしたなかにあって、仏像というのは大事にされていて残っているものなんですよね。

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薬師寺・金堂

さて、ここにある本尊の薬師如来像、その両脇の日光菩薩像、月光菩薩像。この三体が、あわせて国宝になります。ちなみに薬師如来像の台座も国宝です。制作された時期は、飛鳥白鳳期とされています。いずれの仏像も、写実的な自然な描写、肉付けでつくられた仏像で、この時期における仏教彫刻の最高傑作。仏像を前に不謹慎だけど、今でもオリエンタルなモデルさんとして十分に通用しそうですね。

それぞれの仏像の手や足の裏には「千輻輪相」が描かれています。「せんぷくりんそう」と読みますが、車輪を重ねたような形ですね。仏さんの身体的な特徴なんですが、ここまで丁寧に書き込まれた仏像はめずらしいようです。

ちなみに日光菩薩月光菩薩は、文字どおり、太陽と月で対になっています。薬師寺にかかわらず、薬師如来の脇侍に置いている場合が多いです。このふたつの菩薩は、見比べても、よく似ていますけど、右手と左手、どちらが上がっていて、下がっているか、そこは違っています。

 

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薬師寺・薬師三尊像

  ※ 仏像の写真は拝借しております。

次に大講堂ですね。ここには弥勒三尊像があります。あと国宝の仏足石も見ることができます。ちなみに仏足石とは、お釈迦さんの足跡の形を彫刻した石のことですね。

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薬師寺・大講堂

真新しい伽藍【薬師寺玄奘三蔵玄奘塔】

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薬師寺玄奘三蔵玄奘

薬師寺の最後に。伽藍を出て、道をはさんで、北側にあるのが、1991年につくられた新しい伽藍。玄奘三蔵院。唐の玄奘の教えを伝えるべく建立されたということで、玄奘シルクロードの旅を描いた「大唐西域壁画」を見ることができます。伽藍の中央には、玄奘の遺骨を納めた玄奘塔があります。ちなみに玄奘の遺骨を納めた寺というのは、この薬師寺だけではありません。どうやら分骨されているようですね。

玄奘は、興福寺のときにも触れましたけど、『西遊記』の三蔵法師ですね。仏教の原点をもとめ、山岳や砂漠、荒野を越えて、シルクロードをたどってインドに行くというお話なんですけど、物語の土台の部分は、実話なんですよね。あと、言い忘れましたが、薬師寺は、興福寺と同じく法相宗のお寺ですね。もともと玄奘が中国で広めた宗派です。

ここで西ノ京を後にします。今回は時間がなくて訪れることができなかったけれど、ここから北へ歩くと、唐招提寺があります。鑑真ゆかりのお寺ですね。せっかく西ノ京を訪れたらには、ぜひ、訪れておきたいお寺ではあるんですけど、以前に薬師寺ととも訪れたことがありますので、割愛いたしました。