かもめでんしゃの鉄道旅ブログ

鉄道を軸に 史跡・名所をめぐっていきます。

法隆寺・西円堂や東院伽藍/厩戸皇子がやどるお寺[奈良・斑鳩1dayチケットの旅<07>]

 

 

13:00

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小高い丘にある八角円堂【法隆寺・西円堂】

西院伽藍があるからには、対となる東院伽藍もあります。東院伽藍に行くまでに、せっかくなので、西円堂など、ほかの堂宇も見ていきます。

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法隆寺・峰の薬師こと西円堂

西院伽藍の北西の小高い場所に、薬師如来像を安置する八角円堂の西円堂があります。そう興福寺の北円堂、南円堂でみた八角円堂ですね。建物は鎌倉時代のものですが、本尊の薬師如来坐像奈良時代のものです。西円堂もまた建物と本尊どちらも国宝になります。なお、寺伝では、もともと行基が建てたとされています。

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法隆寺・西円堂

それにしても、西円堂が建てられた場所は高いので、そこから眺望もいいですね。

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法隆寺・西円堂から見る西院伽藍

西円堂の近くに鐘がありました。「かきくえば かねがなるなり ほうりゅうじ」。正岡子規さんの有名な俳句ですけど、ひょっとして、この時の鐘を聞いて、一句浮かんだのだろうか。

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法隆寺・西円堂の時の鐘

西院伽藍の両側にある堂宇【法隆寺・西室と東室】

さきに西円堂のほうを紹介しましたけど、西院伽藍の すぐ西にあるのが、三経院及び西室。鎌倉時代に建てられた国宝の建物です。

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法隆寺・三経院及び西室

三経院とは、聖徳太子こと厩戸皇子勝鬘経維摩経法華経の三つの経典を注釈された『三経義疏』にちなんで付けられた名前とのことです。勝鬘経が何で、維摩経が何で、というような説明はいたしませんけど(というか自分でも分かりません)、日本仏教の原点とされるもののようです。なお、それと、西室の建物の南部分を改装して、「三経院」を呼ぶようになったとのことです。

今度は西院伽藍の東側に行きます。その前に鏡池ですね。ここを通ります。聖徳太子こと厩戸皇子がこの池で水からの姿を映したという伝説があります。うーん。厩戸皇子が生きていたときは、ここには法隆寺が建っていなかったはず。若草伽藍の方でしたからね。それとも鏡池だけは、もともとあったということなのか。伝説にツッコんでも、しかたがないのかもしれませんけど。

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法隆寺鏡池

それで、東室ですね。これも国宝の建物です。「三経院及び西室」のときに触れていませんでしたが、東室と西室は、いわゆる僧房のことですね。僧侶さんの住まいです。この東室の方は、基本的には奈良時代から残る建物になります。「基本的」といったのは、東室の南部分は聖霊院といって、鎌倉時代厩戸皇子を祀る墓所に改装されたからですね。

東室の隣には「妻室」という建物があります。こちらは重要文化財重要文化財も貴重な建物なはずなんですけど、これだけ国宝が続くと、感覚が麻痺しますね。「妻室」というのが聞きなれない建物ですけど、東室の別館みたいなものなんでしょうか、ね?。説明を見損ねました。

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法隆寺・東室と妻室

あと、見損ねたというより、たぶん写真を撮り損ねたのでしょうけど、国宝の建物である食堂や綱封蔵といった建物も、この辺りにあります。これを取り上げ出すと、長くなりますので、やめておきます。

飛鳥時代の傑作【法隆寺大宝蔵院(観音菩薩立像と玉虫厨子)】

さて、法隆寺の宝物庫である大宝蔵院。東院伽藍に行くまでに、ここを訪れておきます。といいますか、ここにあるのが、歴史の教科書にでも出てきそうな「観音菩薩立像」と「玉虫厨子」ですね。これは見逃せません。いうまでもなく、どちらも国宝です。もちろんですけど、この大宝蔵院には、それ以外にも、国宝、重要文化財がずらりと展示されていますけど、この2つに絞りますね。

まずは「観音菩薩立像」。飛鳥時代のもので、もともと金堂にありました。観音菩薩立像」というより「百済観音」といったほうが名前が通りやすいらしい。でも、「百済観音」といっても、実際に百済から来たものかは不明。ただ、最近の研究では、使われたヒノキの解析などから、日本でつくられたことは確からしい。ということは分かったようです。いずれにしても、まだ誰がどこで作ったのかが解明されていません。謎多き仏像でもあるのですね。ただ、日本における木造仏像彫刻の原点とされ、現代にいたるまで、多くの人の心を捉えた作品とされています。

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法隆寺観音菩薩立像

そして、次が「玉虫厨子」ですね。これも飛鳥時代のもので、もともとは金堂にありました。ちなみに「厨子」というのは、仏像など納めて安置するための屋根付きの箱のようなものですね。「玉虫」というのは、あの昆虫のタマムシです。装飾にタマムシの羽を使ったんですね。この「玉虫厨子」。実際にみてみると意外と大きなものでして、高さは2メートル30センチほどあります。残念ながら、タマムシの羽は残っていません。なにしろ飛鳥時代のものですからね。しかたがないです。解説によると、ほんの少しだけ残っているようですけど。

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法隆寺・玉虫厨子

※ 仏像、厨子の写真は拝借しております。

 

西院伽藍から東院伽藍へ【法隆寺・東大門】

さて、西院伽藍を離れ、直線にのびる道筋をとおって、夢殿のある東院伽藍へと歩いていきます。

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法隆寺・紅葉と松の木

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法隆寺・紅葉(西院伽藍から東院伽藍へ)

土塀の美しい通りを抜けていくと、見えてくるのが、東大門。奈良時代の八脚門ですね。南大門もそうでしたけど、「大門」というわりには、簡素なつくりの門ではありますけど、これも国宝ですね。

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法隆寺・東大門と土塀

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厩戸皇子ゆかりの八角円堂【法隆寺・東院伽藍(夢殿)】

東院伽藍に到着。ここに夢殿があります。奈良時代八角円堂にして、堂内には聖徳太子こと厩戸皇子の等身像とされる救世観音像を安置しています。ここも建物とともに国宝ですね。

もう八角円堂についての説明は省略しますね。ようは厩戸皇子の供養塔です。「夢殿」。それにしても変わった名前ですね。もともと建てられたときは、そういう名前ではなかったようなんですけど、厩戸皇子が瞑想していたときに夢に現れた「金人」に教えを授かったという伝説にちなんで、「夢殿」と名付けられたようです。「金人」というのも聞きなれませんけど、後光というのかオーラというのか、そういう輝きをもった人、単純に「仏さん」と言っていいのでしょうね。

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法隆寺・夢殿

東院伽藍の東院鐘楼も国宝ですね。こちらは鎌倉時代のもの。ちなみに夢殿も奈良時代のものといいましたけど、結構、鎌倉時代に改装されているようなんですね。

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法隆寺・東院鐘楼

ざっと、法隆寺を紹介してきました。ただ、歴史価値の高い建物が多すぎて、じっくりとは回りきれません。いろいろと紹介してきましたけど、国宝の建物だけみても、こぼれ落ちていますが、正直なところ、いちいち取り上げていては、前には進みません。
せっかく法隆寺を訪れるために、斑鳩の地まできたのですから、ほかの斑鳩のお寺も見ておきたい。そういう思いもありましたので、これにて法隆寺を後にすることにしました。