かもめでんしゃの鉄道旅ブログ

鉄道を軸に 史跡・名所をめぐっていきます。

猿沢池~奈良公園/神秘の池と神の使い ならシカ [奈良・斑鳩1dayチケットの旅<03>]

 

08:45

goo.gl


神秘の池【猿沢池

ここで、いったん興福寺の境内を出ます。興福寺五重塔から興福寺を「五十二段」の石段を下り、猿沢池の畔に向かいます。

f:id:kamomedensha:20200322141930j:plain

「五十二段」側からみた興福寺五重塔

f:id:kamomedensha:20200322141644j:plain

猿沢池から見た興福寺五重塔

石段の「52」という数字には意味があって、悟りの数、仏教でいうところの「悟りの52位」ですね。悟りには、それぞれ名前がついているようですが、ようするに、下の1段目がもっとも低く、上の52段目がもっとも高い悟り。悟りですから、1段目でさえ、凡人では到達できるものではない。52番目の悟りが「妙覚」とか「無上覚」とか言います。この域に到達したのは、お釈迦さま一人だけということになっています。興味をおぼえて調べてみると、2番手が龍樹というインドの菩薩で41段目なので、お釈迦さまの独走状態。日本の開祖の方々は10段目あたりをうろうろ。そんな位置づけになっています。

猿沢池は、奈良時代興福寺がつくった人口池ですね。七不思議とか采女伝説とかがあって、どことなく神秘なイメージがあります。七不思議が何かとかは畔の碑で説明されているので省略しますが、ここにおサルさんがいたから「猿沢池」ではないのです。インドの仏教国のひとつに、それこそ サルがいる池があって、そのイメージから「猿沢池」としたようですね。いずれにしても、今回は、時間がなかったので、「猿沢池越しに五重塔を撮った」だけ。猿沢池は、何度も行っていますからね。

聖武天皇が建てた金堂【興福寺・東金堂】

では、ふたたび興福寺に戻ります。さきほどの五重塔の隣にあるが東金堂です。東金堂は、解説によると、聖武天皇元正太上天皇の病気全快を祈って建てたとされます。中金堂の方角を向いて建てられていますね。五重塔と同じく、室町時代の中頃に再建されたものです。

f:id:kamomedensha:20200319224338j:plain

興福寺・東金堂と五重塔

興福寺は何度ども焼失していますからね。東金堂もまた、奈良時代の建立から、焼失と再建を繰り返して、室町時代になって、ようやく定まったわけです。

この建物も国宝です。前面は吹放で、木割が太いのが印象的です。ちなみに前放と書いて「ふくななし」と読みます。壁に建具を設けることなく、柱のみを置いた伝統的な建築方法を、前放といいます。

ちなみに東金堂があるということは、対の西金堂もあったわけですが、こちらは焼失したまま。さきに紹介した北円堂と南円堂の間に建てられていたそうです。

09:00

国宝仏像の宝庫【興福寺・「維摩居士座像と文殊菩薩座像」「阿修羅像」】

さて、最後に、興福寺の国宝仏像の紹介です。

興福寺の国宝仏像(国宝彫刻)の数は17件。これは、法隆寺と並んで日本一の件数となります。興福寺が何度も火災に遭ったにもかかわらず、これは奇跡という他はないです。ちなみに国宝仏像は日本国内で138件しかありません(2019年12月現在)。

興福寺の国宝仏像がみられるのは東金堂と国宝館です。北円堂や南円堂にも国宝仏像がありますが、こちらをみるのは期間限定となります。

まずは東金堂。ここには4件の国宝仏像がおさめられています。4件といっても、そのうちの1件は十二神将立像の12体のですので、多くの国宝仏像がみられます。

本尊の薬師如来像の左右に配しているのが、「維摩居士座像と文殊菩薩座像」。これも国宝仏像になります。ともに鎌倉時代の作。四角形の台座にあるのが維摩居士座像、円形の台座にあるのが文殊菩薩座像と対になっています。解説によると、これが「維摩経」に書かれている文殊維摩の問答を再現しているとありますけど、まず「維摩経」が分からない。分からないなりに解釈すると、維摩さんは「居士」なので、仏さんでも僧侶でもなく、在家の信者。その維摩さんが、知恵の仏で有名な文殊さんと、対等に問答をしあっている構図というわけなんです。

ちなみに、本尊の薬師如来像のほうは室町時代のときの作で国宝ではありません。奈良時代のものは建物とともに焼失しております。ただ、焼失をまぬがれた頭部だけは、国宝になっていまして、国宝館のほうに保管されています。

f:id:kamomedensha:20200324020851j:plain

興福寺薬師如来像、維摩居士座像と文殊菩薩座像。

そして、つづいて国宝館。ここに、国宝仏像の宝庫といわれる興福寺にあって、随一といわれる「阿修羅像」があります。奈良時代の作です。

f:id:kamomedensha:20200323233537j:plain

興福寺・阿修羅像

  ※ 仏像の写真は拝借しております。

阿修羅さんが、どういう仏なのかの説明は省略しますが、三面六臂。つまり3つの顔と6つの腕からなる仏像ですね。どうしても上部分に目がいってしまうのですが、足元をみてみるとサンダルを履いています。板金剛というそうですが、そこが、なんともインドっぽいです。あと、興福寺の阿修羅像は、手に何も持っていないんですよね。もともと仏具や武器を持っていたらしいんですが、どこかで無くしたようです。それがかえってミステリアスな印象となっています。 

ここまで阿修羅像を説明しておいて、重大なことをお伝えしなくてはなりません。阿修羅像は、時間の都合上、今回は見ておりません。。

えっ!?

阿修羅像も以前に見たことがあるので割愛しました。そもそも、次のことを考えると、阿修羅像のある国宝館に立ち寄る時間がなかったのです。でも、あえて阿修羅像を紹介したのでは、興福寺に、この阿修羅像は欠かせないと思い、あえて取り上げてみました。悪しからず。

09:05

goo.gl

神の使い ならシカ【奈良公園

興福寺の境内を北へ抜け、奈良公園を横切って、近鉄奈良駅へ戻ります。奈良公園を横切って」といっても、興福寺のあたりの、ほんの一部ですけど。奈良公園の西の端。

奈良公園については、のちほど説明をすると思いますが、とりあえず「奈良公園」の範囲について話しをします。一般的の「奈良公園」のイメージは、興福寺東大寺春日大社などのあたりの公園。社寺の境内も含まれます。これは文化財としての「奈良公園」と、ほぼ同じイメージです。ただ、都市公園としての「奈良公園」というものもあり、これは、もっと範囲が広くて、若草山など山の部分も含まれています。ただ、逆に、社寺の境内は対象外ということになるようです。

奈良公園といえば、シカですね。1000頭を超える野生の鹿がいます。「野生の鹿」というとしっくりこないのかもしれませんが、ようするに「所有者がいない鹿」ですね。

f:id:kamomedensha:20200411072516j:plain

奈良公園の鹿

 

f:id:kamomedensha:20200411072200j:plain

奈良公園の鹿


「野生の鹿」とはいえ、奈良公園のシカは、春日大社の神使とされ、古くから手厚く大事にされています。国の天然記念物なんですよね。「所有者がいない鹿」といいましたけど、由来の経緯から「春日大社のシカ」とも言われています。

とにもかくにも シカは、愛らしい 奈良のマスコット。御託を並べてもしかたがありませんかもしれませんね。

f:id:kamomedensha:20200322230232j:plain

奈良公園の鹿


 

近鉄奈良駅~興福寺/ 奈良県内唯一の地下駅と奈良の摩天楼 五重塔。 [奈良・斑鳩1dayチケットの旅<02>]

 

08:21

近鉄奈良駅

goo.gl

奈良県内唯一の地下駅【近鉄奈良駅

朝。近鉄難波駅から近鉄奈良駅へ。車両は、近鉄奈良駅の手前、新大宮駅を過ぎたあたりから地下へと潜っていきます。

近鉄難波線は、この近鉄奈良駅が終点。ここで折り返し運転となります。

f:id:kamomedensha:20200319180639j:plain

近鉄奈良駅のプラットホーム

近鉄奈良駅は、奈良県唯一の地下駅。もともと地上駅でしたが、都市再開発に伴って、地下化されたのです。

同じ近畿でも滋賀県和歌山県には地下駅はありませんので、むしろ地下駅があることは、奈良県が都会である証拠(?)。

ちなみにJR奈良駅は地上駅で、市の中心からやや西の位置にあります。 

 

近鉄奈良駅の待ち合わせ場所【行基菩薩像】

地上に出ると、噴水の上にある行基さんのブロンズ像が出迎えてくれます。行基菩薩像は、奈良の大仏の方角を向いています。

f:id:kamomedensha:20200319181352j:plain

近鉄奈良駅前の行基菩薩像

行基さんは、奈良時代の僧侶で、奈良の大仏の造営にあたった人物。奈良の大仏だけでなく、各地で布教活動や慈善事業にも精力的につとめた人物です。奈良県に限らず、旅先のお寺などを訪れてみると、よく「行基さん」の名前を見聞きすることがあるので、覚えておくべき人物のひとりです。

遠くは、岩手県の黒石寺や群馬県草津温泉も、行基さんにちなんだ伝承があるようです。その伝承が史実かどうかといった無粋なことは言いません。ただ、そこは奈良時代。さすがの彼も、そこまでの行動範囲があったとは思えませんがー。

 

08:30

興福寺

goo.gl

美しい八角円形の建物【興福寺・北円堂】

興福寺へ。まずは北円堂。
近鉄奈良駅から東向商店街を通って興福寺へ向かいます。東向商店街は、朝の開店前。静かなものです。近鉄奈良駅から興福寺まで、徒歩すぐのところ。ですので、ブログでの紹介も飛ばします。

さて、興福寺。いうまでもなく古都奈良を代表する寺院ですね。北円堂から入るルートだと、いかにも「裏口から境内にはいってきた」という感じになりますので、興福寺の説明は、後回しにします。

さて、話しを戻します。興福寺の境内に入って、まず見えるが、北円堂。

八角円堂の本瓦葺きの建物です。こじんまりとしてはいますが、れっきとした国宝です。

f:id:kamomedensha:20200319184644j:plain

興福寺・北円堂

しかも、この北円堂のなかには、本尊の弥勒菩薩像をはじめ国宝の仏像たちが安置されています。残念ながら、特別公開の時期でしか見れませんけど。

今回の旅には、八角円堂の建物が多く出てきますので、簡単に解説をしておいたほうがいいでしょう。

八角円堂というのは、八角形の円形状の建物のことです。「インドの円塔が起源ではないか」といわれていますが、実は、よくわかっていません。位置づけとしては、墓標ではなく、供養塔のようなものです。有名なのは法隆寺の夢殿ですね。奈良県内には意外とある建物の形なのですが、ほかのところでは、あまり見ない形の建物となります。

そうそう。いい忘れてましたが、北角円堂は、藤原不比等の供養塔です。

朱色あざやかな八角円堂【興福寺・南円堂】

さて、つづいて南円堂です。北円堂とは南北で対になって建てられています。こちらも八角円堂で、藤原内麻呂の供養塔です。北円堂よりも一回り大きく、また朱色で、力強ささえ感じさせます。

f:id:kamomedensha:20200319205016j:plain

興福寺・南円堂

ちなみに、内麻呂という人は、不比等のひ孫にあたります。うーん。いまいちピンと来ない人。右大臣となってはいますが、なにしろ藤原北家の家柄。出世して当然といえば当然なんですよね。

ちなみに南円堂は、国宝ではなくて重要文化財。国宝の北円堂が鎌倉時代の再建なのに対して、南円堂は江戸時代の再建と、年季の差が、その差として出たのかもしれません。ただ、北円堂と負けず劣らず、創建当時の面持ちを伝えていますね。

あと、西国三十三巡礼の、興福寺の札所は、この南円堂です。

300年を経て、2018年の再建【興福寺・中金堂】

南円堂を後にして、興福寺の中ほどへ進みます。そこにあるのが、中金堂。興福寺伽藍の中心にあたる建物ですね。季節柄、モミジの紅葉が綺麗でしたので、あわせて写真におさめました。金堂というのは本堂のこと。中金堂とは、本堂のなかの本堂といった意味でしょうか。数ある興福寺の建物にあって、もっとも重要な建物になります。

f:id:kamomedensha:20200319210703j:plain

興福寺・中金堂と紅葉

f:id:kamomedensha:20200319212457j:plain

興福寺・中金堂

ただ、この中金堂は、何度も焼失していまして、解説によると、7回も焼失。まあ、興福寺そのものが何度も焼けておりますから。そもそも奈良時代の創建当時の建物は、もう残っていないんですよね。ただ、驚くべきことに、仏像たちだけは焼失せずに、古くから残っているものが多いんです。このあたりの事情は、ドキュメンタリー映画にでもなりそうですが、ようするに僧侶たちが、なんとか仏像だけは火災から守り抜いたんですよね。

さて、中金堂の話の続きですね。最後に焼失してから300年後の、2018年の再建。つまり新しい建物です。再建されるまでの間は、仮堂の中金堂が設けられていましたが、この再建により、創建当時の規模と面持ちがよみがえったというわけです。将来的にですが、この中金堂のまわりを、さらに回廊が囲む。そういう構想もあるようです。

中金堂の話のついでに、そもそも興福寺という寺院について、説明をしておきます。

興福寺は、寺伝によりますと、天智天皇のときに、藤原鎌足が「山階寺」として京都に建てた。天武天皇のときに「厩坂寺」として奈良に移建された。そして、平城遷都のときに、藤原不比等がこの土地に移建して「興福寺」とした。まあ、ようするに藤原氏の氏寺ですね。

f:id:kamomedensha:20200320093719j:plain

興福寺・南大門跡から五重塔を望む

あと、興福寺というのは法相宗のお寺ですね。法相宗ー。聞きなれない宗派ですね。法相宗が何かとか、その教えである『成唯識論』が何かというのは、専門外かつ難解なので説明できませんけど、ようするに唐の玄奘がインドから持ち帰った経典がもとになった宗派。玄奘が誰かって?『西遊記』の三蔵法師のことです。

奈良の摩天楼【興福寺五重塔】 

さて、そろそろ五重塔が迫ってきます。興福寺のシンボルといえば、なんといっても五重塔

高さ50.1mメートル。現存する木造の塔のなかでは、京都の東寺の五重塔に次いで、日本第二位の高い塔ですね。

f:id:kamomedensha:20200319220604j:plain

興福寺五重塔

奈良時代に建てられた五重塔ですが、今のものは室町時代の中頃に再建されたものです。もちろん国宝です。

意外といっていいのか分かりませんが、この興福寺五重塔奈良県内でもっとも高い建物になります。階層でいえば、地上10階のホテル日航奈良が高いといえそうですが、ホテル日航奈良の建物の高さは46メートル。興福寺五重塔の数字には及びません。奈良市内に高さ規制というものがあるらしく、この五重塔よりも高いものを建ててはならないそうです(真偽は不明ですけど)。

 

はじめに。 [奈良・斑鳩1dayチケットの旅<01>]

 

「奈良・斑鳩1dayチケット」

近鉄の「奈良・斑鳩1dayチケット」というものがあります。今回の鉄道旅は、この切符を利用します。

 「奈良・斑鳩1dayチケット」は、関西の私鉄沿線の各駅から、近鉄沿線の奈良地区の各駅、そして奈良交通バスの1日乗り放題のお得な切符です。

f:id:kamomedensha:20200319113506j:plain

金額は、利用する私鉄によって違ってきますが、例えば阪急沿線であれば、2,100円。
損か得かの計算をしてみますと、阪急の塚口駅から大阪梅田駅、大阪メトロ経由で、近鉄奈良駅まで片道1,030円、往復で2,060円。チケットとの差額は、わずかに40円。
阪急沿線を知っている人であれば、梅田と塚口の位置関係は分かると思います。梅田から快速で1駅の距離しかありません。それなのに、ほぼ元が取れてしまいます(ちなみに西宮北口駅から近鉄奈良駅であれば、ちょうどチケットと同じ往復2,100円)。

この「奈良・斑鳩1dayチケット」は、いうまでもなく途中下車することもできます。さらに奈良交通バスも使うこともできます。それに施設割引の特典もあります。うまく利用すれば、どんどんお得になるという話しです。

注意してほしいのは、このチケットは近鉄の有料特急には使えません。それと、チケット名が「奈良・斑鳩」であるとおり、同じ奈良県でも飛鳥や吉野はエリアの対象外になります。悪しからず。

www.kintetsu.co.jp

 

 

かもめでんしゃの鉄道旅ブログ

 さて、順序が逆になりましたが、ここで「かもめでんしゃの鉄道旅ブログ」の紹介をさせていただきます。

 

f:id:kamomedensha:20200319124323p:plain

開口一番に伝えないといけないのは、かもめでんしゃは、ブログの初心者です。

かもめでんしゃは、撮り鉄でも乗り鉄でもありません。鉄道の車両に詳しいわけでもありません。

でもでも、鉄道の一人旅が好きです。

しかし、鉄道にこだわっているわけではありません。「鉄道よりも路線バスのほうがいい」と思えば、路線バスのほうを選ぶタイプです。同じルートを行き返りするよりは、違うルートを選ぶほうが楽しい。あっちこっちに行ってみたい。

「えっ。『鉄道旅』じゃないやん」っていうはツッコミは、甘んじて受けます。

さらにいうと、鉄道の旅よりも、実は、史跡めぐりのほうが、好きだったりします。町を散策するのは好きですが、実は、グルメには疎かったりします。

ついでにいえば、移動費や宿泊費は、なるべく抑えておきたい。実は、それも旅の醍醐味のひとつではないでしょうかね(たぶん)。

さて、その上で、どういった人に、「かもめでんしゃの鉄道旅ブログ」を読んでいただきたいかというと・・・。

・鉄道の旅を楽しんでいる人。鉄道の旅のプランを考えている人。

・途中下車の旅が好きな人。ぶらり旅が好きな人。

・史跡めぐりや町めぐりが好きな人。歴史好きの人。

そういった人に、ぜひぜひ、読んでいただきたいと思っております。

反対にですが、ガチガチに乗り鉄にこだわっている人や、グルメツアーやゆったりまったりの旅を期待している人は、ちょっと的外れのブログになるかと思います。

 念のためにですが。かもめでんしゃは、プロカメラマンでもありません。ブログの写真は、一眼レフではなく、スマホコンデジで撮影してきたものです。どうか温かい目で見ていただけると助かります。また、写真を撮り損ねたものや、仏像や襖絵など撮影不可のものもありますので、ブログでの説明上、必要があれば、フリー素材を使わせていただきます。

それでは、「かもめでんしゃの鉄道旅ブログ」をはじめていきます。

かもめでんしゃ的「鉄道旅」のはじまり~ はじまり~。