かもめでんしゃの鉄道旅ブログ

鉄道を軸に 史跡・名所をめぐっていきます。

近鉄奈良駅~興福寺/ 奈良県内唯一の地下駅と奈良の摩天楼 五重塔。 [奈良・斑鳩1dayチケットの旅<02>]

 

08:21

近鉄奈良駅

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奈良県内唯一の地下駅【近鉄奈良駅

朝。近鉄難波駅から近鉄奈良駅へ。車両は、近鉄奈良駅の手前、新大宮駅を過ぎたあたりから地下へと潜っていきます。

近鉄難波線は、この近鉄奈良駅が終点。ここで折り返し運転となります。

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近鉄奈良駅のプラットホーム

近鉄奈良駅は、奈良県唯一の地下駅。もともと地上駅でしたが、都市再開発に伴って、地下化されたのです。

同じ近畿でも滋賀県和歌山県には地下駅はありませんので、むしろ地下駅があることは、奈良県が都会である証拠(?)。

ちなみにJR奈良駅は地上駅で、市の中心からやや西の位置にあります。 

 

近鉄奈良駅の待ち合わせ場所【行基菩薩像】

地上に出ると、噴水の上にある行基さんのブロンズ像が出迎えてくれます。行基菩薩像は、奈良の大仏の方角を向いています。

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近鉄奈良駅前の行基菩薩像

行基さんは、奈良時代の僧侶で、奈良の大仏の造営にあたった人物。奈良の大仏だけでなく、各地で布教活動や慈善事業にも精力的につとめた人物です。奈良県に限らず、旅先のお寺などを訪れてみると、よく「行基さん」の名前を見聞きすることがあるので、覚えておくべき人物のひとりです。

遠くは、岩手県の黒石寺や群馬県草津温泉も、行基さんにちなんだ伝承があるようです。その伝承が史実かどうかといった無粋なことは言いません。ただ、そこは奈良時代。さすがの彼も、そこまでの行動範囲があったとは思えませんがー。

 

08:30

興福寺

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美しい八角円形の建物【興福寺・北円堂】

興福寺へ。まずは北円堂。
近鉄奈良駅から東向商店街を通って興福寺へ向かいます。東向商店街は、朝の開店前。静かなものです。近鉄奈良駅から興福寺まで、徒歩すぐのところ。ですので、ブログでの紹介も飛ばします。

さて、興福寺。いうまでもなく古都奈良を代表する寺院ですね。北円堂から入るルートだと、いかにも「裏口から境内にはいってきた」という感じになりますので、興福寺の説明は、後回しにします。

さて、話しを戻します。興福寺の境内に入って、まず見えるが、北円堂。

八角円堂の本瓦葺きの建物です。こじんまりとしてはいますが、れっきとした国宝です。

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興福寺・北円堂

しかも、この北円堂のなかには、本尊の弥勒菩薩像をはじめ国宝の仏像たちが安置されています。残念ながら、特別公開の時期でしか見れませんけど。

今回の旅には、八角円堂の建物が多く出てきますので、簡単に解説をしておいたほうがいいでしょう。

八角円堂というのは、八角形の円形状の建物のことです。「インドの円塔が起源ではないか」といわれていますが、実は、よくわかっていません。位置づけとしては、墓標ではなく、供養塔のようなものです。有名なのは法隆寺の夢殿ですね。奈良県内には意外とある建物の形なのですが、ほかのところでは、あまり見ない形の建物となります。

そうそう。いい忘れてましたが、北角円堂は、藤原不比等の供養塔です。

朱色あざやかな八角円堂【興福寺・南円堂】

さて、つづいて南円堂です。北円堂とは南北で対になって建てられています。こちらも八角円堂で、藤原内麻呂の供養塔です。北円堂よりも一回り大きく、また朱色で、力強ささえ感じさせます。

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興福寺・南円堂

ちなみに、内麻呂という人は、不比等のひ孫にあたります。うーん。いまいちピンと来ない人。右大臣となってはいますが、なにしろ藤原北家の家柄。出世して当然といえば当然なんですよね。

ちなみに南円堂は、国宝ではなくて重要文化財。国宝の北円堂が鎌倉時代の再建なのに対して、南円堂は江戸時代の再建と、年季の差が、その差として出たのかもしれません。ただ、北円堂と負けず劣らず、創建当時の面持ちを伝えていますね。

あと、西国三十三巡礼の、興福寺の札所は、この南円堂です。

300年を経て、2018年の再建【興福寺・中金堂】

南円堂を後にして、興福寺の中ほどへ進みます。そこにあるのが、中金堂。興福寺伽藍の中心にあたる建物ですね。季節柄、モミジの紅葉が綺麗でしたので、あわせて写真におさめました。金堂というのは本堂のこと。中金堂とは、本堂のなかの本堂といった意味でしょうか。数ある興福寺の建物にあって、もっとも重要な建物になります。

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興福寺・中金堂と紅葉

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興福寺・中金堂

ただ、この中金堂は、何度も焼失していまして、解説によると、7回も焼失。まあ、興福寺そのものが何度も焼けておりますから。そもそも奈良時代の創建当時の建物は、もう残っていないんですよね。ただ、驚くべきことに、仏像たちだけは焼失せずに、古くから残っているものが多いんです。このあたりの事情は、ドキュメンタリー映画にでもなりそうですが、ようするに僧侶たちが、なんとか仏像だけは火災から守り抜いたんですよね。

さて、中金堂の話の続きですね。最後に焼失してから300年後の、2018年の再建。つまり新しい建物です。再建されるまでの間は、仮堂の中金堂が設けられていましたが、この再建により、創建当時の規模と面持ちがよみがえったというわけです。将来的にですが、この中金堂のまわりを、さらに回廊が囲む。そういう構想もあるようです。

中金堂の話のついでに、そもそも興福寺という寺院について、説明をしておきます。

興福寺は、寺伝によりますと、天智天皇のときに、藤原鎌足が「山階寺」として京都に建てた。天武天皇のときに「厩坂寺」として奈良に移建された。そして、平城遷都のときに、藤原不比等がこの土地に移建して「興福寺」とした。まあ、ようするに藤原氏の氏寺ですね。

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興福寺・南大門跡から五重塔を望む

あと、興福寺というのは法相宗のお寺ですね。法相宗ー。聞きなれない宗派ですね。法相宗が何かとか、その教えである『成唯識論』が何かというのは、専門外かつ難解なので説明できませんけど、ようするに唐の玄奘がインドから持ち帰った経典がもとになった宗派。玄奘が誰かって?『西遊記』の三蔵法師のことです。

奈良の摩天楼【興福寺五重塔】 

さて、そろそろ五重塔が迫ってきます。興福寺のシンボルといえば、なんといっても五重塔

高さ50.1mメートル。現存する木造の塔のなかでは、京都の東寺の五重塔に次いで、日本第二位の高い塔ですね。

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興福寺五重塔

奈良時代に建てられた五重塔ですが、今のものは室町時代の中頃に再建されたものです。もちろん国宝です。

意外といっていいのか分かりませんが、この興福寺五重塔奈良県内でもっとも高い建物になります。階層でいえば、地上10階のホテル日航奈良が高いといえそうですが、ホテル日航奈良の建物の高さは46メートル。興福寺五重塔の数字には及びません。奈良市内に高さ規制というものがあるらしく、この五重塔よりも高いものを建ててはならないそうです(真偽は不明ですけど)。